産業医との面談結果ならびにtry

お忙しいところ返信を頂きまして,誠にありがとうございます。

貴重なお休みの日に私に返信するために時間を割いて頂いたことに感謝します。


1

「視野検査も行う予定です。事前に来院日をお教え頂ければ幸いです。」


診察時間は大体どのくらいかかりますでしょうか?

それによって行ける日が異なってくると思います。

2

「私は、認定産業医の資格を持っているので」

色んなことが出来るのですね。

敬服します。

「眼科医では無理と2回で辞めました。」

優れたビジネスオーナーですね。

藤田田も「見切り千両」と書いてました。

 


>>11月16日

O市H山内科、

H山医師との面談がありました。

後の予定が押しているとの理由で30分予定の面談を10分程度で切り上げられました。

「私は眼科ではないので中枢性羞明症候群と言われても分からない。」

「お茶の水?へー」

「東京まで行ってきた?」

「家はT市?」

「いろんなクリニックに行ったのですね」

「タカドウ先生?良いのでは」、

「一番酷いときを10としたら今はいくつくらい?」

「お母さんの認知症、ひどい?」

こんな会話で終わりました。

やっつけ仕事のようでした。

精神科または心療内科、眼科なんて話も一切なかったです。

私との面談の後の用事のほうが遥かに大事だったのでしょう。

封筒に書いてあった佐藤という人物は東京本社の保険担当の名前だそうです。

面談結果は東京本社に送られるそうです。

私へのフィードバックは恐らくはないであろうというのが総務課からの説明でした。

あっさり終わって拍子抜けしました。

後が押しているというから他にも面談者はいるのかと思ったのですが、誰もいませんでした。

終了後、H山先生は直ぐに帰りました。

3

「30代半ばにとても辛い時期があり」

私が県外に住んでいた時期かな?

「身体的にも髪が抜けるという異状が出ました。」

何があったか訊くつもりはないですが、幸か不幸か、そのような先生のお姿を見たことはないです。

「泣きたい事、死んでしまいたいと思ったこともあります。」

これは意外でした。

順風満帆の人生を送ってこられた方だと思っていました。

「それでも働かなくてはならず、本当に辛かったです。」

お医者さんも大変ですね。。

私の友人で32歳でリタイアした人がいます。

 

不動産で成功しました。

I市出身、N市在住です。

ほぼ毎日、遊んでいます。

たまにセミナー講師として全国に行きます。

先日は熊本に行ったそうです。


しかしながら20代で6000万円の借金を抱えたときは、円形脱毛症になったそうです。

子供の時には母親がエホバの証人にハマって大変だったそうです。

複雑な家庭環境だったらしいです。

双子の妹は厚生連高岡の看護師らしいです。

4

「そのうち大きな震災があり、その惨状をTVで見ていました。」

阪神淡路大震災ですか?

あの時、私の父親は神戸にいて被災しました。

1週間音信不通でした。

葬式の準備も考えたのですが。。

真っ黒な顔をして帰ってきました。

大阪まで歩いて、その後サンダーバード雷鳥に乗ったそうです。


ちなみに震災が起きたのは1月17日ですが、1月15日(当時は成人の日、祝日)に私は京都にいました。
 

この友人に会うためです。


(今は縁が切れましたが)


持参した寝袋で岩倉の彼の6畳のアパートで一泊しました。

風呂なし、紙がない共同トイレで家賃1万2千円の木造です。
 

いつの間にか教授になっていました。

彼も随分、出世したものです。

知らない間に、ずいぶんと差が開きました。

持参した手土産のマス寿司が翌日には硬くなっていました。

二人で、昨日のうちに食べておけば良かったな、なんて言いました。


私は16日に帰宅したので間一髪?でした。

父親が神戸にいることを帰宅してから母親から聞きました。

似合わない場所に行ったな、、と思っていた矢先の出来事でした。


5

命という文字は「人は一度は叩かれる」と書く。

何かあるから人生だ。

斉藤一人


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

良寛


今までの人生を振り返った時に、失敗も挫折も渦中にいる時には判らなかったけれども、自分にとって必要な出来事だったと思うのです。

今回の出来事も振り返ってみると恐らくは自分にとって必然性のある出来事だったのでしょう。


7

『あれもこれもtry、try。あなたがいろいろ試しておられることも「体に害がなければ」とやかく言うこともありません。』

「体に害がなければ」意味深ですね。。

笑わないで頂きたいのですが、「try」のひとつとして、

s先生の御姿を写真に撮らせてもらうわけにはいきませんでしょうか?

不安でたまらなくなると無性にs先生の顔が見たくなるのです。

最後の拠り所みたいな感じになっています。

私にとってS先生の存在自体がクスリなのです。

御真影としてお守りにしたいのです。


治療の一環ということで、受けて頂けませんでしょうか?

携帯の待ち受けにするか、印刷して額に入れて飾るか?


こんな感じになる?

S先生のお姿が私にとっての精神安定剤なのです。

変なことを言っていると思ったらスルーして下さい。

メンタルが壊れつつあるので、おかしなことを言っているかもしれません。

手のかかる患者、

費用対効果、コスパの悪い患者で申し訳なく思っています。


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パソコンの明度

お忙しいところ恐縮です。

新しい発見?があったので一応報告させて頂きます。


前々から何となく感じていたのですが、昨日、その違和感が確信に変わりました。


会社で現在2台のパソコンを使用しています。

皆と共用するものです。

便宜上、「左」、「右」とします。

目に痛いので明度を、両方とも「20」まで下げました。

私一人で使うものではないので、これ以下の数値は無理でした。


左のパソコンについては、明度を下げることで眩しさを感じることはなくなりました。

問題は「右」です。

明度を下げること、暗くすることで一旦は眩しくなくなります。

しかし、5分後にスクリーンを見ると、また眩しく感じるのです。


明度は20のままで変更していません。

眩しいので更に19まで下げます。

10分後にスクリーンを見ると、また眩しく感じます。

左のPCには眩しさを感じることはありません。

右のPCの明度を更に18まで下げます。

5分後にスクリーンを見ると、また眩しく感じます。

明度20と何も変わっていない感じです。

無限にループが続きそうな感じです。

(私一人で使うものではないので、これ以上暗くすることはしませんでした)

それで昨日なのですが、PCスクリーンの明度を19から18に変更しようとしたところ、間違って20に上げてしまいました。

しかしながら、何故か明度を上げたはずなのにスクリーンが暗くなって見えました。

明度を下げるだけではなく、上げた時にも暗く見える。

PCの故障かとも思いましたが違うようです。


視神経のバグ?でしょうか。

新しい発見?

念のため報告させて頂きます。


「相談医は??となると思います。」

「眼科でも良い。あるいは眼科の方が最適である」となった場合は齊藤先生にお願いしても構いませんでしょうか?

精神科または心療内科の方が良いと診断されたら、そのようにしたいと思います。

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辰巳台中学校

私は、市原市の辰巳台中学校というところに在学していました。 中学校までは、徒歩で行っていて片道30分くらいかかるところにありました。通学路は、大きい道を真っ直ぐ進むような簡単な通学路で、中学校の近くにはスーパーもあったのでわかりやすかったです。

中学校のときの得意な科目は、数学でした。数学の先生が部活の顧問の先生でわかりやすかったからです。 苦手な科目は、体育でした。もともと運動が苦手な私は体育が苦手でした。 しかし、友達の誘いで入った部活はソフトボール部で、今でも運動音痴な私が唯一出来るスポーツはソフトボールくらいです。 同級生には、個性があふれた人が多かったです。田舎の中学校なので、みんな自由に過ごしていて特にイジメとかはなく中学校生活を送れたことは本当に幸せだと思います。 担任の先生は、女の先生でしたがとてもサバサバしていてかっこよくて頼れる先生でした。クラスのみんなはその先生のことが大好きなくらい人気がある先生でした。

中学校で、楽しかった思い出は中学3年生のときにもともと仲がよかったソフトボール部のメンバーがみんな同じクラスになったことです。 みんな真面目という訳では無いですが、しっかりしていて卒業して10年経った今でもそのメンバーでよく遊ぶくらい仲がいい親友です。

部活を引退してから、毎日放課後学校で遊んだり、誰かの家に行ったりして毎日遊んでいました。テストが近くある時はみんなで、勉強したりと本当に充実してました。

嫌だったことはあまりありませんが、一番記憶にあることは部活をまだやっていたときに朝練の時間にある部活の子と喧嘩をしてしまいました。些細な喧嘩で、私は授業が始まると忘れてしまうくらい些細なことでした。その子とはクラスが違ったのですが、休み時間に廊下ですれ違った際、すっかり喧嘩をしてることを忘れている私は普通に話しかけてしまいました。 そのときのその子の顔が忘れられないくらい怒っていて、その時にはっ!と喧嘩していたことを思い出しました。しかし、それがきっかけで仲直りをして最後は笑顔を見せてくれていたのでよかったなと思っています。 色々なことがあった中学校は、本当に私の思い出がたくさんつまっています。

中学校を進学する前に通っていた小学校は、辰巳台東小学校というところで、私達仲良しメンバーは小学校もみんな一緒でした。 その時は、今までよりは仲良くなかったですがみんな同じ合唱部に所属していて、今思うとみんなと仲良くなるのは運命だったのかなと思うくらい同じものが好きになるメンバーだなと思います。

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ブレーキパッド

夜分、遅くに申し訳ないです。

イストですが、今年の9月に車検に出しました。

工場は小学校の時の同級生の実家です。

それ以来、スタート時のみ「キュルキュル」という音が鳴るのです。

走り出して数分で音は消えます。

ファンベルトが原因ではないか?ということで先週、ベルトを新しいものに交換したのですが、音はやみません。


どうも調べてみるとブレーキパッドが原因のようです。

実際、車検業者からはブレーキパッドを交換したと言われました。

こうした場合、安全性に問題はないのでしょうか?


走り出して数分で音は消えるので、大丈夫かな?と思いながら3か月が経過しました。

これから冬場なので、気になって相談させてもらいました。


時間のあるときにでも、見解を聞かせてもらえませんか?


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相模原

神奈川県への出張のついでに相模原市の橋田裕史のところへ行ってきた。今乗っているクルマの走行距離がヤバくなってきたのでタイミングベルトを交換する必要があるのだ。思えばヤツとは子供の時からの付き合いだ。

ガキのころには,良くつるんで遊んだものだ。高校からは別々の学校へ進学したのであるが、ちょくちょく会った。他愛もないが、彼には何でも話せる。彼に何かしてあげたいと思う。


果たしてこれで何年になるだろう。アイツの自動車修理工場は儲かっているのだろうか。あまり景気の良い話は聞かないのだが。

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